hiyodori_patransの特許翻訳日記

特許翻訳のあれこれを綴るブログです。

特許翻訳に必要な英語レベルとは

特許翻訳を始めてみたい方、どんなものか知りたい方のために、連載でお届けします。

 

目次はこちら → 特許翻訳ビギナースガイド

前回の記事はこちら → 特許翻訳者ってどんな人?

 

さて、今回は「特許翻訳に必要な英語力とはどれくらい?」についてお話したいと思います。

 

特許翻訳には、英語が聞き取れる、流暢に話せる、というスキルは必要とされません。文書の読み書きだけです。

必要な技能は「正確に英文が書けること」です。

 

とはいえ、どんな読み書きレベルなのかは実際の例を見たほうがわかりやすいですね。

誰でも知っている例で見てみましょう。

前記事(特許翻訳の仕事はどこからくるのか )でも紹介した、アマゾンのワンクリック特許

商品の注文画面に「1-Click (TM) で今すぐ買う」というボタンがありますよね。名前や住所やクレジットカード番号を入力しなくても速攻注文できるという、アレです。

 

米国特許5960411の冒頭部分です。

The Internet comprises a vast number of computers and computer networks that are interconnected through communication links. The interconnected computers exchange information using various services, such as electronic mail, Gopher, and the World Wide Web ("WWW"). The WWW service allows a server computer system (i.e., Web server or Web site) to send graphical Web pages of information to a remote client computer system.

インターネットについての説明ですね。

この記事に関心を持って下さった方は、辞書も必要なく読める方も多いのではないでしょうか。

難しい構文は一つもなく、修飾関係が分からないということも全くない明解な文章です。英検1級も必要ないでしょう。

 

では、引き続き、特許翻訳の中でも一番難しいと言われる、権利範囲について書かれた部分。

ワンクリックで注文するときのコンピュータでの処理について書いてあります。簡単な処理ですが、イメージしやすいように補足も入れてみました。

 

A method of placing an order for an item comprising:

under control of a client system, ← クライアントシステム=注文側のPCやスマホなどの端末
displaying information identifying the item; and ← 注文画面が表示される
in response to only a single action being performed, sending a request to order the item along with an identifier of a purchaser of the item to a server system; ← ワンクリックで購入者のIDと共に注文オーダーが送信される
under control of a single-action ordering component of the server system, ← サーバーシステム=アマゾン側での処理
receiving the request; ← 注文を受信
retrieving additional information previously stored for the purchaser identified by the identifier in the received request; and ← 購入者IDの情報(住所とかカード情報とかですね)を検索取出し
generating an order to purchase the requested item for the purchaser identified by the identifier in the received request using the retrieved additional information; and ← 発注する
fulfilling the generated order to complete purchase of the item ← 注文商品調達
whereby the item is ordered without using a shopping cart ordering model. ← こうしてカートに入れずに注文できます!

 

どうでしょうか。改行してあるところで切って読んでみてください。

ワンセンテンスで書かなければならない、という構文上の制約はありますが、英文自体は簡単ではないでしょうか。

意外にそれほど難解な英語がわからなくても、書けるのでは?もしかしてそんな高度なレベルは必要ない?

と思われたかもしれません。

そうなんです。文芸作品よりもよっぽど簡単なんです。

もちろん、英検1級くらいのレベルはあった方がよいですが、英検1級以上、TOEIC900点以上というのは、あくまで翻訳者を採用するうえでの目安です。

 

ここで考えるべきは、何のための翻訳かということです。

翻訳している対象とは「特許文書」です。

正確に過不足なく誤解の生じないように明確に訳文を作ることができればいいわけです。感動させたり、心の機微に訴える必要はありません。

 

そして、「特許翻訳」の読み手は誰かを考えます。

まず、特許事務所の弁理士さん、企業の発明者・知財担当の方。ここまでは日本人。

そして次に読むのが審査官。特許庁から送られてくる書簡に記されている審査官の名前を見ると、アジア系やインド系やルーツも様々なようで、必ずしも生粋のネイティブではないかもしれません。

特許が公開になった後は、ネイティブ以外の人も読むでしょう。

 

以上をふまえると、ここで目指すべきは「平易な英語」です。

ということは、ネイティブレベルのこなれた英語が必要なのではなく、原文を正しく読むことができ、正しい文法で明確な英文を作成することができる、というのが最重要です。

「微妙なニュアンス」や「こなれた英語表現」が不要ということは(むしろ回避すべきと私は考えます)、留学や英語圏内での生活経験も不要です。後天的にこつこつと勉強して身につけることのできる技能という点では、特許翻訳は誰にでも目指しやすい仕事でなないかと思います。

  

平易な英文とは

一文を短く、受動態を避ける、専門用語(jargon)を避ける、とかいろいろ言われます。

私が特に大事だと感じる、いくつかの点は以下の通り。

・文法的に正しく書く。

・頭から読んでいって一度読んだだけで理解できる

例えば、「~が~である場合、~すれば~となる」とか「~することにより~になるので、~という効果が得られる」とか、一文が長いときは、情報を整理したほうがよいでしょう。

・凝った言い回しや、見慣れない表現を避ける。

間違っていないとしても、独りよがりになりがち。クライアントに警戒されます。

・語法・誤用に気をつける。

例えば、「レーザ光を走査する」という表現がありますが、そのまま訳せば、scan laser light となります。しかし、scan が目的語にとるのは走査する対象なので、scan  an object が正しい語法です。

 

このように、アウトプットする英文自体は難しくありません。

が、日本語の原文がわかりにくいことが多々あります。一文が長いことが多いです。また、訳すものの内容自体が馴染みがなく、なかなか内容がつかめないこともあります。むしろ、英語よりこちらが問題となることが多いかもしれません。

英語にアウトプットする前に日本語の情報を整理することが、一番の腕の見せ所ではないでしょうか。

 

そして、最終的にはお客様の好みや意向に沿うことがとても大事です。たとえ、正しく翻訳ができていたとしても、チェックされたときに「あっているのかどうかわからない」と思われると困ります。また、訳語や表現について指示があるときは、何らかの背景や事情があることが多いので、その意図を汲む必要があります。

 

言い換えれば、このあたりのさじ加減を調整するのが、特許翻訳の醍醐味といえるでしょう。

文芸翻訳やエンターテイメント系の翻訳に比べれば、特許翻訳は一見、面白くなさそうに見えますが、「いかにロジカルに平易に書けるか」という一種の思考トレーニングの場でありとても奥が深いと思います。

 

さて、最後に。

 

簡単な英語でよいなら、英検2級でもいいの?と思われそうなのですが、それはさすがに…もうちょっと要りそうな気がします。

客観的な目安で言うなら、TOEIC900点以上より、英検1級。英検よりは工業英検。さらに、特化するなら、知財翻訳検定というのもあります。

英検1級レベルの文章が読める必要はありますが、必要とされる単語の守備範囲が異なるかと思います。

これについては、別記事「特許翻訳の勉強方法」で書く予定です。